スパロウフォト |
病気なのか、事故なのか、それはわからない。
私が一年前に伺った時には、とても元気ハツラツだったのだが・・・。
私が臼田さんの訃報を知ったのはとあるディアドルフユーザーさんのブログで、
それからググってみたら古いレンズなどにとても詳しい、というか、入り込んでいる方のHPで
時々見に行って勉強させてもらっている方の画像BBSにそのことが書いてあった。
去年の二月の日記に書いたが、スパロウフォトさんには一度だけ伺った。
亡くなった臼田さんは無料でレンズボードをはずしてくれて、それからしばらくカメラや写真の話をしてくれた。
商売っ気がないというか、とても気さくな方で、いつかディアドルフをお世話になりたい・・・と思うような方だった。
複数の種類のダゴールで撮影した大きなプリントを持ってきて見せてくれたり、ちょうど5x7のフィルムがなくなった後で
在庫の5x7のフィルムホルダーを指さして、「これどうしてくれるんだよぉ~」などと笑いながら言っていた。
かなりいろいろなレンズの話をしているときに、上に書いた、臼田さんがお亡くなりになったことが書かれている
HPの名前が出てきた。
私もその頃はそのHPを知っていたので、「ああ、あそこですか。凄いですよね・・・」と話がまた先に進んだ。
群馬から来た・・・と話したら、確か臼田さんは長野の出身で(記憶違いだったら申し訳ありません)、そこから
ラーメンの話になったりもした。
半地下の方へ案内され、ジナーエキスパートを目の前に、「見て、これ、これすごいよね!」と話したり、
「でも、ジナーは外に持って出るもんじゃない、重くて重くて・・・」と言ったり・・・。
二階だか三階に旋盤を入れて、部品を作ろうとも思った・・・などと話は尽きなかったな。
ディアドルフのことに関しては、ここ以上のお店はないんじゃないか?と思うのだが
今後どうなるんだろう?と、ユーザーではないのに心配になる。
上に書いたBBSには、奥様が後を引き継ぐということらしいが・・・。
因みに、アメリカで生まれたディアドルフはその後、銀一・駒村連合が引き継ぎ、
現在の商標権の持ち主はこのスパロウフォトさんである。
臼田さんという方、一度しかお会いしていませんが、その短い時間はとても楽しく有意義で勉強にもなりました。
ご冥福をお祈りいたします。
↓臼田さんが自慢していた11x7のディアドルフとアベドンのポスター
3月は別れの季節ですねえ…大井製作所の解体が話題になってる此の頃、たまげたお話でした。
こんにちは。
大井製作所ってずいぶん前に解体が決まったのでしたっけ?
地下の汚染物質の調査が云々・・・とかなんとか言われてました・・・。
別れの季節・・・と言われれば、今日・明日は近所のお宅のお葬式のお手伝いでありまして・・・(~_~;)
都内平日に偶然話したバイテン愛好家の人がスパロウの臼田さんて言及されたので、訃報を申せば「え!?」て大変驚いてましたです。
残念ながら臼田さんは昨年10月22日に、ご病気で亡くなられました。お加減が悪くなってから、あっという間の話でした。
私は弟子とはいいながら、クライアント(勤務先が臼田さんに撮影のお仕事発注してました)でロケアシ(三脚担いで撮影現場に同行してました)でコーディネーター(撮影交渉やロケ旅行の手配を私がしてました)で…、それでも「弟子です!」と言いながら10数年間一緒にお仕事をさせて頂いたものでした。
臼田さんの撮影現場を間近で眼に出来たことは、私の一生の宝物です。
臼田さんはフライフィッシングの毛針も自ら作られるほど手先が器用で、かつ几帳面な方でしたので、お店に並ぶディアドルフは本当に美しい状態でした。
私は生まれついての不器用かつガサツ者なので、修理についてはお話を楽しく聞くばかりで、この方面に関して「弟子です」と言えないのは実に残念です。
はじめまして。
そうですか、撮影の同行者の方ですか。
そういえば、臼田さんは撮影のお仕事もやっているようなことをおっしゃってましたね。
で、ニコンのD800だか810を持ち出して、「これがあれば大判カメラでなくても問題ない・・・」というようなこともおっしゃっていました。
それと、エルグの4wayを見せてくれて、「この雲台、とても便利だよ」とおっしゃったので
「それ見つけてるんですけどなかなか中古が出ません・・・」と言ったら
「いらなくなったら譲ってあげますよ」と、笑いながらおっしゃってましたね。
そうそう、毛鉤の話もしてくれましたよ。
「俺はプロ級だ、でもそれを言うと・・・」と、他の誰かを気遣ったような話方をされてましたね。
上の階に旋盤を入れようと思ったこともあるなんてことも仰ってました。
ラーメンの話やディアドルフの商標を入手するいきさつなども・・・
初めて行った知らないお店で客でもないのにあれほどまでに話し込んでしまって、私にはとても素敵な夢のような楽しい時間でしたね。
それだから、本当に信じられない気持ちでいっぱいですし、今後の大判カメラ業界にとってももったいない人をなくしてしまったんだな・・・と思います。
実はこのブログ記事を書いた後に銀一COCOに確認の電話をしたりして、本当に亡くなったということを知りました。
それで、失礼ながら知らないふりをしてお店に電話をしてみたのです。
実は、生前に臼田さんに「いつになってもいいから・・・」と、お願いしておいたものがあったのです。
それをネタに・・・と思って電話をしました。
奥様が電話にお出になり、臼田さんの死を知らされて、実は生前にお願いしたものが・・・と話したら
奥様が「ああ、これね、ここに書いてありますね」と、臼田さんが残した何かを見ながら話してくれました。
それから10数分でしょうか、奥様とお話をさせていただきました。
私が思ったことを率直に話したら、「そうそう、本当にそういう人だったんですよ・・・」と仰ってました。
奥様も本当に良い方のようで、なんというか、どうにもやるせない気持ちがいっぱいです。
それから、「多分あなたは主人に気に入られたのね・・・」なんてことも仰ってくれました。
いつか花でも持ってお店に伺いたいとは思っているのですが、なかなかその時間が作れません。
decoさ
お店は奥様が、臼田さんの生前からのお友だちやお知り合いのフォローを受けながら、週末限定で営業を再開されたようです。5月の連休に、やはり生前から臼田さんに「これを」とお願いしていた友人と一緒にお店にお邪魔しました。
奥様も臼田さんの同窓で写真の専門教育を受けた方ですから、写真やカメラマンを見る眼もしっかりされていらっしゃいます。
※私のようなものがこんな言い方をするのは不遜でありますが…
私も好きなカメラマンで、これまたやはり惜しくも3年前に亡くなられた管洋志さんとは、臼田さん曰く「管洋志とは私よりも、妻が親友なんですよ!」とのことでした。